仏教理解2020 ①

毎年、夏のお盆には、母方の実家に遊びに行きます。

信心深い人が多かったので、

この時期は精神世界の話に触れることや感じることが多かったです。

以下、2020年現在の私の仏教理解の内容です。


法華経の第4章は信解品といいます。

サンスクリット語で、信解はアディムクティといいます。

アディ(~に向かって)+ムクティ(解き放たれる)の合成語で、

「 心 ( 我々が ) が何かに向かって解き放たれる。 」

という意味です。

例えば 「オリンピックに俺は出るぞ!」といって

2020年 3年先に心が向かうことが信解なのです。


この信解品では、

人々には、成仏( 真の自己に目覚めること )できる素質(仏性、繁栄の素)が、

備わっていることを物語を通して確認しあう場面がつづられています。

成仏(ブッタ)とは「真の自己に目覚めた人」だといいます。

サンスクリット語で、

ブッタとは「ブッドゥ」という「目覚める」という動詞の過去分詞です。

私は、成仏(ブッタ)を、

「 自分の意思をもって、何かに向かって挑戦する人 = 真の自己に目覚めた人 」

と解釈しました。


過去、社会通念、既成概念にとらわれず、

人の可能性、自身の可能性、人間的魅力を引き出そうとする人のことだと思います。

仏教の始祖、お釈迦様がいる時代のインドにもカースト制度があり、

生まれてきた時から、

あなたは〇〇する人と宿命づけされる社会制度があったことを思えば、

そこから脱して、自分自身の可能性に挑戦する人、

宿命転換をはかる人を成仏としたのだとしたのだと思います。


成仏(ブッタ)は、挑戦することを通して(熱)、

人が本来内在している可能性(繁栄の素)を信じ、

人間魅(ダシ)を引き出す人・・・そう解釈すると、

仏教の三大悟り、①所業無常 ②諸法無我 ③涅槃寂静の意味が腑に落ちてきました。

①所業無常  ~ 非成仏である人が、いつまでもそのままであり続けることはない。

        つまり、成仏できる可能性を秘めている。

②諸法無我 ~ 人間は、自身と自身を取巻く環境とで相互関係で成り立っている。

        ①で自身が成仏できれば、周りの環境も変わる。

        または成仏の周りに集うことで、その影響を受け、

        自らも成仏に近づくことができる。社会現象(宗教や塾)も納得です。

③涅槃寂静 ~ 静やかな安らぎの境地は、

        信心(自分の秘めた可能性を信じる心)し、挑み続ける人生。

        挑戦時の集中した状態。

        試練・苦難の「まことの時」にも信心できる勝利にいたる道を歩む人生

        だと理解します。

        信心しきれば選択の余地がないわけですから迷わないわけです。


以上

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